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1月17日。

2009/01/17 Sat 19:26

神戸駅400

1月17日という日を、みんなが忘れませんように。

神戸の街が一日も早く復興をとげますように。

※14年たった今も、完全な復興はまだなのです。
震災当時、わたしは神戸に住んでいました。
幸いなことに、家も家族も無事でした。

それでも、震災のことを思うと
いまだに胸がぎゅっとしめつけられます。

倒壊した建物、火事で焼けた家、ひび割れた道路、
この目で見たものすべてが、脳裏に焼き付いています。

わたしは生かされている。

いま、ここに存在することも
たいせつな家族に囲まれて、
あたたかい部屋でこうしていられることも
なにもかもが決して当たり前じゃない。

あらためて、そう思います。

阪神淡路大震災で犠牲になられた方々のご冥福を
心よりお祈り申し上げます。

=====

『ななとおさんぽ』@nana*mamaさん
http://nanatomamatopapa.blog59.fc2.com/

「やっぱ好きやねん(はぁと)」にトラックバックしています。
雑感・ヒトリゴト | comments(8) | trackbacks(0)


comments
あ~神戸だぁ~♡
ハーバーランドのある「神戸駅」
懐かしい~(><)
この「神戸駅」の地下のUCCのコーヒー屋さんでアルバイト
したなぁ~なんて、、、

14年ですねぇ.....
お互い被災した経験者だから、たぶんきっと
あの「17日」の事は決して忘れないし
忘れてはいけないんですよね....

私も幸い家族、親戚、友人
だれも失う事がなかったのですが

あの日、生命の境界線にいたのは確かで
私も生かされたのだなぁ...
と感じました。

でも神戸の人って強かったなぁ~
って言うか強くなったんだろうなぁ~





まりぃさん、神戸で震災に遭われていたんですね。
その日、私の住んでいる富山でもすごくゆれて、
明け方飛び起きて、子供達の無事を暗い中確認したのを覚えてます・・・・・
その後、テレビで映し出される神戸の映像・・・私も忘れることはできません。
長女が、今14歳なんです。
震災の年度に生まれました。

「生かされている」
そのとおりですね。
当たり前のことがすごく幸せなんだということを
あらためてかみしめて、
命を大切にして生きていかなければいけないと
思いますね。

実は、震災のとき私の父は 神戸の三宮にいました。
わたしの実家は 関東ですが 父の仕事場は 神戸なんです。
なので 現在も月に一回は 神戸へいっております。

この日のこと まだ鮮明に覚えています。
わたしは大学生で 東京で一人暮らし。明け方、母から電話で、神戸で大きい地震があり 父と連絡がとれないと・・・。

そのときから 私たち家族は少し変わった気がします。
そして 運命には逆らえないけれど、時間を大切にしなくてはという気持ちが強くなりました。
普段は忘れがち、でも 14年前のこの日のことを思うと また気持ち新たに がんばろうと思います。

生かされているわたしたち、子供たちにも 【生きる】ということ 少しずつ学んでいってほしいものですね。

nana*mamaさんへ
わたしはハーバーランドのダイエー(現イズミヤ)で
バイトしたことがあります。
UCCはお客として、行ったことあるなぁ。
ひょっとしたら、出会っていたかも???(笑)

14年たちましたね。
当時は強くならざるを得なかったんでしょうね。
悲しみややるせなさと同時に
人のあたたかみや優しさを感じることもありました。
いろいろな出来事が神戸の人に影響を与えたのかもしれません。

今後、震災を知らない娘たちに
どうやって伝えていくか、がわたしの課題です。
らいむさんへ
富山でもそんなに揺れたんですか?
あの地震の大きさを物語っていますね…。
震災の年にうまれた娘さんがもう14歳。
時間の流れを感じてしまいます。

当たり前のことに感謝すること、
日常に追われていると、すぐに忘れてしまいます。
いま一度、深く心に刻みつけなければと思います。
Roseさんへ
お父様、神戸で震災にあわれたんですね。
家族の皆様、さぞかし心配なさったでしょうね。
ご無事でよかったです。
あのときは携帯電話もまだ普及していなくて、
公衆電話の長い列に並んだことを覚えています。
でも、全然つながらなくて、本当にヤキモキしました。

自分自身ももちろんですが、
娘にもこのことをきちんと伝えていかなければと思います。
たいせつにたいせつに毎日を生きていってほしいです。
あれから14年経つのですね。
私は、その頃は東京に住んでいて、地震を報じるテレビの画面に愕然としていました。
自分の実家(大阪南部ですが)とも、神戸に住む友人とも連絡が取れず、ヤキモキし、ようやく連絡が取れた時には、安心で気が抜ける思いでした。
この日が来ると、平穏無事に暮らしていけることのありがたみを感じます。
普段からそう思えるとよいですが、なかなかそうもいきません。
この日を忘れず、日々に感謝する機会を与えられることは、大切なことだと思っています。
ふく*たまさんへ
あのときは本当に連絡が取れなかったですね。
被災地からも、被災地へも。
被害に遭われた方々にとっては
一生忘れられない、深い傷なのでしょうが
生かされたわたしたちはこのことを教訓に
次の世代が安心して暮らせる世の中にしていかねば、と思います。

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